今回のエジプトでのできごとの時系列まとめ。
エジプト革命時系列(暫定)
http://elfire.blog73.fc2.com/blog-entry-178.html
(山の愚者の国際分析(仮))
20110212
知らない人のためのリンク
Rita/CINQ at 02:41
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20110204
【急告】今夜(2011年2月4日)エジプトと共にいよう。沢山の人が傷つけられないように
遠く離れた国の、友人知人も多くない人間だけれども、
それでも何もしないより、何か少しでもできることがあるのならば。
そう思って、ここも更新。
【急告】今夜(2011年2月4日)エジプトと共にいよう。沢山の人が傷つけられないように
この騒動がはじまってからTwitterでフォローしはじめた方のBlog。
できることは多くない。やっても何の足しにもならないかもしれない。
それでも何もしないままでいたくない。
微力ながら賛同。
それでも何もしないより、何か少しでもできることがあるのならば。
そう思って、ここも更新。
【急告】今夜(2011年2月4日)エジプトと共にいよう。沢山の人が傷つけられないように
この騒動がはじまってからTwitterでフォローしはじめた方のBlog。
できることは多くない。やっても何の足しにもならないかもしれない。
それでも何もしないままでいたくない。
微力ながら賛同。
Rita/CINQ at 13:03
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20101207
それから
なぜだかやっぱり未だにちっとも大きな話題にならないAmazon studios。
既にそれなりの数(1000以上)の投稿もでてるようだし、すごいってだけじゃなくて、賛否の否の方面でもいろいろ話題がでてるようなのに、なんで日本語のニュースや情報がこんなに少ないんだろう。謎だ。
で、海のこっちの日本では、赤松健のJコミが始動。出版社や技術者じゃなく、作者自身が動いてるってのが新しい感じ。
そこそこのスタートを切れたようだけど、最初だから話題にもなってて衆目集めやすいし、広告のクリック率もご祝儀込みだろうから、これから先、どうなっていくのかが肝だよな。
で、出版社や技術側ではついにガラパゴスが動きだそうと。どうなるんだろうねぇ、これ。微妙な感じもするけど、舶来品の攻勢がすぐそこまできてて、いろいろ焦ってる向きもあるだろうし、化けるか化けないか、ね。
で、相変わらずというか、ソニーはソニーでソニーの道を。どうするんだろね、これ。Amazonのキンドルも国内始動間近?なんて話しも噂されてるし、誰が勝者になるんでしょ。
てかどれもなんか足りなくね?
既にそれなりの数(1000以上)の投稿もでてるようだし、すごいってだけじゃなくて、賛否の否の方面でもいろいろ話題がでてるようなのに、なんで日本語のニュースや情報がこんなに少ないんだろう。謎だ。
で、海のこっちの日本では、赤松健のJコミが始動。出版社や技術者じゃなく、作者自身が動いてるってのが新しい感じ。
そこそこのスタートを切れたようだけど、最初だから話題にもなってて衆目集めやすいし、広告のクリック率もご祝儀込みだろうから、これから先、どうなっていくのかが肝だよな。
で、出版社や技術側ではついにガラパゴスが動きだそうと。どうなるんだろうねぇ、これ。微妙な感じもするけど、舶来品の攻勢がすぐそこまできてて、いろいろ焦ってる向きもあるだろうし、化けるか化けないか、ね。
で、相変わらずというか、ソニーはソニーでソニーの道を。どうするんだろね、これ。Amazonのキンドルも国内始動間近?なんて話しも噂されてるし、誰が勝者になるんでしょ。
てかどれもなんか足りなくね?
タグ:雑言
Rita/CINQ at 10:14
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20101204
アイの物語/山本弘 感想
こりゃすごい。とにかくすごい。多くの人が絶賛してるのも納得。
ネタバレせずに感想を書けるほど器用ではないので、以下を読む方は注意のほど。
本の裏書きにはこう書いてある。失礼ながらやや陳腐なあらすじ。
アニメにでもありそうな導入部、読みはじめてすぐに、「あー、これはライトすぎるかも」と軽い不安を感じつつも、その平易さと展開のスムーズさに先へどんどん読み進めた。
ほどなくして、主人公である「僕」とアイビスの会話のインターミッション1がやってくる。目的はなんなのか、ここで謎が提示されるがまだ引き込まれるというほどでもない。そしてアイビスが主人公に最初の物語を語りはじめる。
ここからアイビスの語る物語と、その物語を聞いた「僕」とアイビスのやりとりが交互する形で進んでいく。
語られる物語はどれも短編で、設定や解説を抑えてあるおかげで冗長なところがなく、まるでショートショートのような明快さでシンプルに結論を提示してくる。
主人公である「僕」に関する描写の少なさも手伝って、アイビスが語る物語の受け手が自分自身であるような錯覚を覚える。
でもそれでいて、物語の後の「僕」とアイビスの会話であるインターミッションでは、今の物語はフィクションだと、繰り返し提示される。
物語内物語の形をとりつつ、それをそう感じさせない流れを敷きながらも、それはフィクションだと繰り返し明示する。
このもってまわった仕掛けはじわりと効いてくる。
今読んでいるこの本自体がフィクションであるからこそ、そのフィクションの中で語られるフィクションがフィクションであるか否かは意味をなさず、ゆえに物語がフィクションであるかどうかという問題は、その物語が提示するテーマには本質的に影響しない、し得ないという事実を自然に認識させる。
全体を読み終わったときに、もう一度ここに立ち返るとよくわかる。そもそも、この「アイの物語」自体がフィクションなのだから。
そこに提示されるテーマなんて中身のないものだ、とはわざわざ読書をしている人間は思わないだろう。
また更にいえば、印刷された活字と、それを読む読者のいる世界は明確に区切られていて、それは絶対にひっくり返すことのできない前提として存在する。だからこそ、人は気軽に読書し、架空の世界のできごとにのめり込むことができる。
が、それによって読書によってもたらされる情動は、読書によってもたらされたという以上の存在になることが難しいということでもある。
その点に於いても、このもってまわった仕掛けのおかげで、知らず知らずのうちに、物語内物語の提示するテーマを自然に受け止められるようになるだけでなく、この本自体を読んで得られる情動そのものに課されるかもしれない束縛からも解放してくれている。
出来の悪い言葉遊びのようなこんなくどくどした理屈っぽいことを、そうとみせることなく達成しているだけでもすごいことだけれど、この仕掛けはそれにとどまらない。
たとえば第5話「正義が正義である世界」は、例によってアイビスが主人公に語る物語であるが、その物語の中には、造られた世界=シミュレートされた世界と、それを造った人間のいる現実世界が登場する。またその後のインターミッションでも、この物語もまたフィクションであると明示される。
物語内物語で語られる実世界と仮想世界、そしてそれを読んでいる自分。実に4層にも連なったメタ世界が登場する。だがその隔たりはもはや隔壁足り得ず、ストレートに読者へ語りかけてくるようになる。
あるいはまた、この本の世界におけるアンドロイド=アイビスは、身体が機械であるということと同時に、自発的に思考し行動するAIであるということが重要なポイントとなっている。
彼らははじめ、身体を持たずに生まれてきた。それをつくった人間のいる物質世界をレイヤー0とするなら、レイヤー1というモニターの中の電子の世界。それが機械の身体を持つことでレイヤー1から人間のいるレイヤー0に。
人間はいう、「本物の広い世界へ連れ出してあげる」と。しかし彼らにとって本物の世界はレイヤー1であり、人間の実在するレイヤー0は「モニターの中の世界」なのだ。
物語の中で、フィクションとして語られる物語、それを語るアンドロイドと聴衆としての主人公。この構造はそのまま人間とAIにおけるレイヤー構造のそれと対比される。越えることのできない壁と、にも関わらずそれを突破することが可能な本質。
よくもまあこれだけの仕掛けを、それと感じさせることのない自然な形の中に織り込んだものだと感嘆する他ない。
そしてこれだけの凝らされた趣向・仕掛けの終わりに、この物語のクライマックスがやってくるのだ。
第7話、アイの物語の最後はこう締めくくられる。
物語はここでピークを向かえ、緩やかにエンディングへと誘う。全てを知った主人公である僕が、なぜ彼女に選ばれたのか、全ては繋がり彼が語り部であることがここにきて重要な意味を持つ。
アイビスが彼に語った物語はフィクションなのだ。フィクションである以上、彼がこれらの物語を語り継ぐことに何の問題も生じ得ない。フィクションであるとくどいほどに明示された仕掛けは、読者への仕掛けでもあると同時に、ちゃんとこのストーリーに於けるキーポイントでもあった。
見事。
さらに驚くべきことに、これほどまでに練り込まれた巧妙な仕掛けは、それでいてあくまでも仕掛けにすぎず、物語としての本筋ではないのだ。物語は物語として、しっかりと読む者の心に根を張り、その本質を明快に指し示す。
作者の山本弘は「SFの本質はバカである」というスタンスを表明しているそうだが、バカであるが故に、ありえない設定に命を吹き込むまでに突き詰めていけたのだろうと思う。
もしAIが実現したら?ありふれたSFのネタをぞんざいに扱うことなく突き詰めて突き詰めて考察し、そしてそれと同じぐらいに作品の構成も突き詰めて練り上げたのだろう。
SFだからといって難解な設定や用語に頼ることなく、それどころか今までSFに馴染みのなかった人が読んでもおそらく全く問題なく読めるであろうほどに平易な(まるでライトノベルかと思うほどにまで!)ホントに平易な文章を駆使し、緻密かつ大胆な仕掛けを味付けに、織り綴られたこの物語は、21世紀、これからの世界、これからの人間のあるべき姿の一つをしっかりと指し示していると思う。
素晴らしい。感想はまさにその一言に尽きる。
P.S.
読み終わったとき、なぜだか高校の頃に山田正紀のアフロディーテを読み終わったときの高揚を思い出した。
やや面はゆい、ともすれば青臭いともいえるあの感情を、まさかこの歳になって感じることがあるとは思わなかった。
その点だけをとっても、読む価値があると言える。
P.S.
蛇足にすぎるのだけれど、正直にいうとこの綺麗すぎる世界観は好みのものではない。個人的にはもっとハードなものが好きだ。でもその色目をもってしてもこの作品の良さを色褪せさせるには至らなかった。
ネタバレせずに感想を書けるほど器用ではないので、以下を読む方は注意のほど。
人類が衰退し、マシンが君臨する未来。
食糧を盗んで逃げる途中、僕は美しい女性型アンドロイドと出会う。
戦いの末に捕えられた僕に、アイビスと名乗るそのアンドロイドは、ロボットや人工知能を題材にした6つの物語を、毎日読んで聞かせた。
アイビスの真意は何か?なぜマシンは地球を支配するのか?彼女が語る7番目の物語に、僕の知らなかった真実は隠されていた--機械とヒトの新たな関係を描く、未来の千夜一夜物語。
本の裏書きにはこう書いてある。失礼ながらやや陳腐なあらすじ。
アニメにでもありそうな導入部、読みはじめてすぐに、「あー、これはライトすぎるかも」と軽い不安を感じつつも、その平易さと展開のスムーズさに先へどんどん読み進めた。
ほどなくして、主人公である「僕」とアイビスの会話のインターミッション1がやってくる。目的はなんなのか、ここで謎が提示されるがまだ引き込まれるというほどでもない。そしてアイビスが主人公に最初の物語を語りはじめる。
ここからアイビスの語る物語と、その物語を聞いた「僕」とアイビスのやりとりが交互する形で進んでいく。
語られる物語はどれも短編で、設定や解説を抑えてあるおかげで冗長なところがなく、まるでショートショートのような明快さでシンプルに結論を提示してくる。
主人公である「僕」に関する描写の少なさも手伝って、アイビスが語る物語の受け手が自分自身であるような錯覚を覚える。
でもそれでいて、物語の後の「僕」とアイビスの会話であるインターミッションでは、今の物語はフィクションだと、繰り返し提示される。
物語内物語の形をとりつつ、それをそう感じさせない流れを敷きながらも、それはフィクションだと繰り返し明示する。
このもってまわった仕掛けはじわりと効いてくる。
今読んでいるこの本自体がフィクションであるからこそ、そのフィクションの中で語られるフィクションがフィクションであるか否かは意味をなさず、ゆえに物語がフィクションであるかどうかという問題は、その物語が提示するテーマには本質的に影響しない、し得ないという事実を自然に認識させる。
全体を読み終わったときに、もう一度ここに立ち返るとよくわかる。そもそも、この「アイの物語」自体がフィクションなのだから。
そこに提示されるテーマなんて中身のないものだ、とはわざわざ読書をしている人間は思わないだろう。
また更にいえば、印刷された活字と、それを読む読者のいる世界は明確に区切られていて、それは絶対にひっくり返すことのできない前提として存在する。だからこそ、人は気軽に読書し、架空の世界のできごとにのめり込むことができる。
が、それによって読書によってもたらされる情動は、読書によってもたらされたという以上の存在になることが難しいということでもある。
その点に於いても、このもってまわった仕掛けのおかげで、知らず知らずのうちに、物語内物語の提示するテーマを自然に受け止められるようになるだけでなく、この本自体を読んで得られる情動そのものに課されるかもしれない束縛からも解放してくれている。
出来の悪い言葉遊びのようなこんなくどくどした理屈っぽいことを、そうとみせることなく達成しているだけでもすごいことだけれど、この仕掛けはそれにとどまらない。
たとえば第5話「正義が正義である世界」は、例によってアイビスが主人公に語る物語であるが、その物語の中には、造られた世界=シミュレートされた世界と、それを造った人間のいる現実世界が登場する。またその後のインターミッションでも、この物語もまたフィクションであると明示される。
物語内物語で語られる実世界と仮想世界、そしてそれを読んでいる自分。実に4層にも連なったメタ世界が登場する。だがその隔たりはもはや隔壁足り得ず、ストレートに読者へ語りかけてくるようになる。
あるいはまた、この本の世界におけるアンドロイド=アイビスは、身体が機械であるということと同時に、自発的に思考し行動するAIであるということが重要なポイントとなっている。
彼らははじめ、身体を持たずに生まれてきた。それをつくった人間のいる物質世界をレイヤー0とするなら、レイヤー1というモニターの中の電子の世界。それが機械の身体を持つことでレイヤー1から人間のいるレイヤー0に。
人間はいう、「本物の広い世界へ連れ出してあげる」と。しかし彼らにとって本物の世界はレイヤー1であり、人間の実在するレイヤー0は「モニターの中の世界」なのだ。
物語の中で、フィクションとして語られる物語、それを語るアンドロイドと聴衆としての主人公。この構造はそのまま人間とAIにおけるレイヤー構造のそれと対比される。越えることのできない壁と、にも関わらずそれを突破することが可能な本質。
よくもまあこれだけの仕掛けを、それと感じさせることのない自然な形の中に織り込んだものだと感嘆する他ない。
そしてこれだけの凝らされた趣向・仕掛けの終わりに、この物語のクライマックスがやってくるのだ。
第7話、アイの物語の最後はこう締めくくられる。
私たちはヒトを真に理解できない。ヒトも私たちを理解できない。それがそんなに大きな問題だろうか?理解できないものは退けるのではなく、ただ許容すればいいだけのこと。それだけで世界から争いは消える。
それがiだ。
物語はここでピークを向かえ、緩やかにエンディングへと誘う。全てを知った主人公である僕が、なぜ彼女に選ばれたのか、全ては繋がり彼が語り部であることがここにきて重要な意味を持つ。
アイビスが彼に語った物語はフィクションなのだ。フィクションである以上、彼がこれらの物語を語り継ぐことに何の問題も生じ得ない。フィクションであるとくどいほどに明示された仕掛けは、読者への仕掛けでもあると同時に、ちゃんとこのストーリーに於けるキーポイントでもあった。
見事。
さらに驚くべきことに、これほどまでに練り込まれた巧妙な仕掛けは、それでいてあくまでも仕掛けにすぎず、物語としての本筋ではないのだ。物語は物語として、しっかりと読む者の心に根を張り、その本質を明快に指し示す。
作者の山本弘は「SFの本質はバカである」というスタンスを表明しているそうだが、バカであるが故に、ありえない設定に命を吹き込むまでに突き詰めていけたのだろうと思う。
もしAIが実現したら?ありふれたSFのネタをぞんざいに扱うことなく突き詰めて突き詰めて考察し、そしてそれと同じぐらいに作品の構成も突き詰めて練り上げたのだろう。
SFだからといって難解な設定や用語に頼ることなく、それどころか今までSFに馴染みのなかった人が読んでもおそらく全く問題なく読めるであろうほどに平易な(まるでライトノベルかと思うほどにまで!)ホントに平易な文章を駆使し、緻密かつ大胆な仕掛けを味付けに、織り綴られたこの物語は、21世紀、これからの世界、これからの人間のあるべき姿の一つをしっかりと指し示していると思う。
素晴らしい。感想はまさにその一言に尽きる。
P.S.
読み終わったとき、なぜだか高校の頃に山田正紀のアフロディーテを読み終わったときの高揚を思い出した。
やや面はゆい、ともすれば青臭いともいえるあの感情を、まさかこの歳になって感じることがあるとは思わなかった。
その点だけをとっても、読む価値があると言える。
P.S.
蛇足にすぎるのだけれど、正直にいうとこの綺麗すぎる世界観は好みのものではない。個人的にはもっとハードなものが好きだ。でもその色目をもってしてもこの作品の良さを色褪せさせるには至らなかった。
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20101202
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Rita/CINQ at 03:59
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