さて早速iPhoneネタ。といってもまず最初は総括、というか概況から。
まずは@ITのこの記事『 Chromeはなぜ速いのか 』。iPhoneとは関係のないGoogleのChromeについての話で、Google曰く、0.5秒という極わずかな差が、ユーザーを惹きつけるかどうかに影響するのだという。かのGoogleが実際のデータを以って言うんだから、そりゃ間違いなくそうなんでしょう。
ここで少し遡って話しをすると、ほんの何年か前まではPCってものは進化し続けるもので、CPUが世代交代すればそれだけ早くなることとイコールだった。OSもどんどん派手になって進化は見て触って感じられるものだったと思う。それがxp登場辺りから徐々に変わってきた。OSは進化を止め、CPUはHz頭打ちから省電力やマルチ化といった方向への転換、ちょっと前のグラボがあれば大概のゲームは問題なく動く。PCを買い換えよう、刷新しようという動機を持ちにくい時代になってきた。
でも実はそんな中でも実は進化はしてて、実際xp登場当時のPCを今使ってみるとなんでもないところで待ち時間があったりしてかなりイライラすることになる。ただ以前までのように体感しやすい変化じゃなくなったってだけだったり。
人間、慣れるもので、いったん速さに慣れると、もう遅いものには戻れない。ほんの些細な遅さもストレスを感じるようになる。最初にあげたGoogleの『 0.5秒遅くなったらユーザーは離れた 』って話も実は0.5秒という数字が問題なんじゃなくて、遅くなったってことが肝なんだと。最初からその速度だったなら、あと0.5秒速くしてもユーザー増加に繋がるわけじゃない。これ大事。
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さて話はがらっと変わって。スマートフォンという言葉もまだなかった時代、PDAと呼ばれるデバイスはそれなりの市場があって、いろんなメーカーがいろんな製品を世に送り出し、ユーザーはその『 まだ見たことのない便利な生活 』を夢見てお金を払っていた。モバギやpalm、ザウルス、リナザウ、CLIE、いろいろあったよね。
でもどれも結局消えていってしまった。何故か。足りなかったから。何が足りなかったのか。単独では通信できなかったり、電池が持たなかったり、速度が遅くてダメだったり。いつも何かが足りなかった。足りなかったからこそ、次こそは!と期待をしては裏切られ、を繰り返し続けてきた。
繰り返し繰り返し繰り返してる内に、ユーザーは疲れてきてしまった。どうせ次もまたダメだと。もういっそのことノートPCを持ち歩けばいいと。
日本のケータイが高機能化して、その足りなかった隙間を、PDAの側からでなく電話の側から埋めてきた。実際ケータイあればかなりのことができるようになって、まあこれでいいんじゃね?って気持ちが諦めの気持ちと合わさって、夢を見なくなってきていた。
そこにようやくスマートフォンと呼ばれるものがでてきた。W-ZERO3。かつてのPDAからの系譜でもあるWMをOSに、フルキーボード、そしてケータイとしての機能。久しく忘れていた『 これかも! 』をいち早く見せてくれた端末だった。だった。そう残念ながら過去形。
ケータイではないマシンは、ケータイではできなかったことができたが、でもやっぱり足りなかった。速度が遅い。OSは微妙にアホ。マシンは非力。やっぱり『 コレジャナイ 』感。とはいえ夢をもう一度見せてくれたから、スマートフォンなら!と期待はできた。次のモデルなら、次のOSなら。
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iPhoneの何が画期的で、何が素晴らしいのか、といえば、陳腐な表現でタッチパネルによる直感的な操作や滑らかなインターフェースというんだろうけど、でもその言葉だけではちっとも足りないし、的を射てもいない。前提となるモノがいっぱいあるし、ポイントは違うところにあったりする。
今のPCの性能で動くxpやOSXの操作に慣れた人間からみて、ストレスを感じない・感じにくいインターフェースであること。携帯端末として速いとか、このOSとしては速いではダメなんだよね。人間の慣れはそんなにきっちり区切られてないから、ある程度は頭が理解してて、これはケータイだから、と思いつつも慣れた感覚が比較対象になるから。
iPhoneだって携帯端末で、ものすごい革新的なチップを使ってて超速いマシンかっていうと別にそういうわけじゃない。昔の端末に比べりゃそりゃとてつもなく速いけれど、それは今作られる他のスマートフォンだって同じなんだしね。
じゃあ何がその違いになってるかと言えば、『 見せ方 』なんだよね。
滑らかにアイコンがスライドしてみたり、アプリの立ち上がりにうにょっと開くアニメーションがあったりってのは、実際には待ち時間なんだけど待ち時間とは感じにくい。ただカーソルが砂時計になって同じ時間待たされたら、ストレスと感じるだろうところで、ストレスを感じさせないような見せ方。
操作が直感的ってのも眉唾で、ピンチイン・アウトだって、言われればすぐに理解できて使えるけれど、それがホントに直感的かっていうとそうでもないと思う。指でつまんで広げたら拡大って身の回りにある? ─ないよね。紙や写真でここもうちょっとよく見たいってときに指で広げてみる? ─やらないよね。実はちっとも直感的じゃない。ただシンプルで覚えやすいってだけ。
でもそれこそが大事。マウスを動かすとその通りにカーソルが動くよ、ってのと同じ。手元で動かしたら他の場所(画面の中)で同じように動くってのも直感的じゃないけど、すぐ慣れる。それと同じ。
ケータイやWM機とiPhoneを比するなら、コマンドライン時代のPCとマウスを使ったGUIぐらいの差がある。
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次こそは!とスマートフォンに期待して、でも同時にW-ZERO3を触って感じた『 やっぱりダメかも 』もあり、きっとあのままWM機を何種類か試してたら、依然と同じ結論にたどり着いていたと思う。『 やっぱりダメだ 』と。
でもiPhoneがやってきた。
速くなったとはいえPCに比べれば非力な小型デバイス。その制限の中で慣れからくるストレスをうまく回避し、かつ新しくてすぐに馴染むインターフェースを用意できたこと。これがiPhoneが他と決定的に違うところだ。
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そしてその新しい枠を楽しもう、活かそうと思う人たちがiPhoneを使い、appを作り、楽しんでるんだと思う。
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もう21世紀になって何年経ってる?相変わらず車はゴムのタイヤで地面を蹴って、石油を燃やしながら走ってる。子どもの頃に本で見た空飛ぶ車なんて夢のまた夢だ。
でも諦めちゃいけない。車は空を飛んでなくても、夢を見ることはできる。新しいもの、まだ見たことのない世界、まだ体験したことのない面白さ、それらはいつだって自分の中にこそある。
今、手の中にあるこの小さなデバイスは間違いなく未来だ。子どもの頃に夢見た空飛ぶ車は、この手の中にちゃんとあるんだ。
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例えば今日、元旦。初日の出を見た。綺麗だなーと思ったから写真を撮ろうと思った。わざわざちゃんとしたカメラは持ってってなかったからiPhoneで撮った。ここまでならケータイでも一緒。
でもそれだけで終わらない。その場でレタッチApp使ってちゃちゃっと写真を合成して、文字入れて、SNSにアップして、見ず知らずの人からコメントきて、新年の挨拶を交わした。
なーんだ、そんだけか、と思われるかもしれない。その程度のことならNetbookでもあればできるし、ノートPCあれば今までだってできたじゃん、ケータイだってその程度のサービスやってるアプリやサービスあるよ、と。
わざわざそういうことをやるつもりで構えてたわけじゃない。その場で思いついてやった。そういうときでも、わざわざ意識してなくても持ち歩いてるモノでできるということ。思いついた程度の動機でもやる気になる。PC置ける机を探さなくていい。かばんから取り出してOS起動するの待たなくていい。ケータイと同じ気軽さでできる。
でもケータイにあるような既成のフレーム重ねました、ではなくちゃんとレタッチして自分で作れる。さくっと投稿して、さくっとコメントできるSNSもある。flickrにもアップできる。
ケータイの気軽さで、PCでやるネットの自由度を、いつでもどこでも、手のひらの中で、できる。
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少しそれっぽくカッコつけて言うなら、『 手のひらの中でクラウドに届いてる 』。
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日本のケータイはものすごく進化してるし、超高機能だ。便利だしよくここまできたよな、と思う。iPhoneをはじめとした海外に比して、ガラパゴスと揶揄されたりもするけれど、進化に取り残された孤島ではなく、独自にとんでもない高さまで進化したハイテクパラダイスだと思う。
でもネットが、世界が、クラウド化していく時代に於いて、その独自性は足枷になりかねない。ケータイではクラウドには届かない。少なくとも今はまだ。もしかしたらこの先も。
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新しい時代はもう来てる。この手の中に。こいつがあの日夢見た“空飛ぶ車”なんだ
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で、次回から実際に試した・使った・使ってるAppをあれこれ紹介していこうと。
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まあいつものごとく、ちっともまとまってないし、飛躍しまくりですが。
タグ:iPhone
この記事へのコメント
Posted by けいおす at 2009/01/02/ 19:29
デジイチもそのうち億劫になる日が。
その日が来るまでせこせこと写真を撮るであります。
Posted by Rita/CINQ at 2009/01/04/ 11:10
ただ、そうでない時・そうでない場所でも、PCの前にいるときのようにできるってのが肝。
というか、逆にPCの前にいる、ということがありがたくなくなるぐらいにいつもが便利になる。そこまでいけるならそれは間違いなく未来だと。